Our Histry会社沿革


真の意味で「家族のような会社」を目指した
創業者の吉田太郎は、妻の富子とともに「吉田太郎商店」を開業。
台東区池之端(いけのはた)に拠点をかまえ、東京を中心に歯科材料の配達業をはじめました。

創業者の吉田太郎(右)と、妻富子(左)。
家族以外の従業員も住み込みで働き、早朝から自転車やバイクを使ってお客様へお届けします。昼になれば、一度、富子が作った昼食をとるためにみなが帰社し、そしてまた仕事へ出るのが1日の流れです。
やがてお得意様が増えて忙しくなると、お弁当を持たせることもありました。
まさに下町人情といえる温かな社風――。これは「社員さんに働いていただく」という精神によるものです。太郎は無口でありながらも、自分より社員の生活を考える人物でした。従業員に三食付きの住まいを与え、給料以外にお小遣いも持たせる。時に優しく時に厳しく育て、真の意味での自立を促していきます。吉田夫婦の愛を受けた従業員たちもまるで本当の家族のように慕い、一丸となって会社を守ります。

社員旅行の集合写真。吉田夫婦は社員への福利厚生にも積極的に取り組んだ。
宮内庁に唯一認められた業者として
事業が軌道に乗ると、宮内庁病院にも歯科材料を納品するようになります。宮内庁病院とは、皇居内にかまえる宮内庁管轄の医療機関です。
1943年には「宮内庁御用達商」を拝命しました。皇居・宮殿には「葡萄(ぶどう)の間」という、天皇陛下が歯の治療を受けられるお部屋があります。歯科材料の配達業者としては、吉田商店以外の出入りは認められていませんでした。
太郎はこの大きな経験を通じて、「信頼」についてさらに熱い思いを抱くようになります。真心ある営業活動を追求し、「お客様と長くお付き合いできる社員の教育」に注力します。また、富子も太郎と共に会社の外へ営業に出かけ、歯科業界の方々と積極的に親睦を深めていくのです。

製作した懐中時計。裏面には「吉田太郎 S56.5.19」と刻まれている。
これからも「あたたかい会社」でありたい
1981年5月19日、吉田太郎が永眠します。
悲しみに包まれるなか、社内では「多くの人に愛された男が旅立つ日」としてみなの心に刻まれるよう、懐中時計を製作。いまでも当時の社員の間で大切にされています。
株式会社ヨシダタロウは、創業者が育んだ「従業員は家族」という精神と、自身の仕事に「責任」と「誠実さ」を貫く精神をいまも受け継いでいます。
これからもみなさまに必要とされる存在であるために、人材教育と社会貢献に精進して参ります。
昭和4年3月 創業
昭和10年6月
東京都台東区池之端2-7-11を拠点に営業

昭和18年 4月
宮内庁御用達商となる

昭和41年 12月
店舗4階建ビル建設

昭和49年 1月
事業拡張に伴い東京都台東区池之端4-10-8に5階建て新店舗完成移転
昭和50年 1月
株式会社吉田太郎商店設立
昭和52年 6月
大宮営業所を埼玉県さいたま市東大宮5-31-8に開設
昭和56年5月19日
創業者・吉田太郎 永眠

昭和62年4月
吉田従吾が代表取締役社長に就任

平成6年 5月
横浜営業所を神奈川県横浜市旭区柏町124-4に開設

平成6年 9月
商号を株式会社ヨシダタロウに変更

平成17年 9月
商品センタ-を東京都台東区下谷3-13-5に開設
平成18年 7月
横浜営業所を神奈川県横浜市旭区柏町3-50に移転
平成19年 3月
日野営業所を東京都日野市日野台2-7-15に開設
平成24年 7月
横浜営業所を神奈川県横浜市旭区柏町132-6に移転
平成24年 9月
千葉営業所を千葉県四街道市鹿渡1134-6に開設
平成28年 7月
開業相談室、動画撮影室、材料倉庫を本社に増床
平成29年9月
吉田従吾が会長に就任
平成30年 6月
研修施設、材料倉庫を本社に増床
令和2年11月
山中晴奈が代表取締役社長に就任

令和5年 3月
川口営業所を埼玉県川口市江戸2-1-23に開設

To the future